▪️終戦の日の頃、2025
わたしの師の呼びかけで8月15日から3日間、早朝にダイナミック瞑想がオンラインであった。
終戦の日に、母親が持っていた戦争がらみのわだかまりを一つ解くことができた経験があった(そのことはまた別に書く)。
時期もあって、戦争のことを考えた。
8月だけ戦争を思い出して話そうというのは、はっきり言って間違っているよ。
でもね、8月には、独特の「重さ」「暗さ」があるのは、体感レベルで感じる。
ダイナミック瞑想を初めてやった2016年の夏を思い出した。
2025年8月17日には、声を出さずに狂ってみた。
狂っているわたしに、わたしは気づいている。
そしてもう一つ奥の方で気づく。
これは誰が泣いてるんだろう?
こんなふうに泣いていた人は誰?
声を上げると危険だから、押し殺している。
誰が、叫べなかった?
自分はこんなふうによく泣いていたし叫べなかった。
でも、これは誰?
親なのかもしれない。子どもだった頃の。
声をあげてはいけない。怖くても。不安でも。不当でも。理不尽でも。
うちの親は、肝心な時に守ってくれない人たちだと思っていた。
そのことは、ずいぶん恨んだ。
けれど、不当でも理不尽でも親たちが声を上げられなかったのはなぜなのだろう?
それをすると命が危ないような状況が染み込んでいると、状況が解除されても、振る舞いは残る。
自然解除はされない。
自然解凍はない。
コミュニティとサロン【安全に狂う方法】をもうすぐ立ち上げるのだけど、
ダイナミック瞑想を単独でする瞑想会も必要かもしれないと今日思った。
この瞑想法の問い合わせがわたしに多かったこともある。
試行錯誤しながら、やっていく。
2025年の8月末から、順次開けていく。
コミュニティは無料で、サロンは有料と考えている。
あとね。
アクティブ瞑想(ダイナミック瞑想などの総称)とともに、どうしても必要なのは
「体を育むこと」
「感覚を育むこと」
体と感覚がないから、思考が暴走して狂うのでもある。
アクティブ瞑想もこういうことにアプローチするのだが、もう少し優しい易しい方法でも「自分を育て」たい。体と、感覚を。
そうじゃないと続かないしね。
気づいたら変わってた、みたいな。
あれ?わたしこんなに変わってる✨みたいな方法で。
楽しみにしていてください。