【戦争とわたしと『安全に狂う方法』】
「第二次世界大戦後の人間には、すべて、ダイナミック瞑想が必要だ。
特に、負けた側の国の人たち」
と、わたしの瞑想の師が言った。
「第二次大戦戦争経験者」ではない。第二次世界大戦から、その後の人間、すべて。
すべてだ。
それを聞いたときに、涙が流れた。
集合意識は、どれだけ傷つき、病み、狂ってしまっただろう。
想像するしかできないが、想像も及ぶことができない。
でも片鱗には触れていた。
親たちが、あんなに心がここになかったり何かから逃げるように働いていたりしたのは、そのせいがあるんだろう。
そしてそんな親を幸せにしたいがために自分のしたくないこともずいぶんやって、それで親を幸せにできないばかりか自分が何も感じられなくなって壊れていくのをどうにもできなかった。
声を上げることもできなかった。
そしてこういう状況は、現在も、多かれ少なかれ同じなんじゃないかと思うのだ。
この社会は、口では「自由」と言いながら、身体を縛る。声も上げさせない。
そんなことが続いていると思う。
学校の規則が変わらないのはびっくりするほどだ。
多様性とやらはどこに?と言いたくなる。
就活スーツに至っては、管理圧力が無言のまま酷くなってる。
なんで自傷や市販薬ODをする普通の人がこんなに多い!?
ある程度以上の傷は、自然治癒がありえないとわたしは思っている。
時が経てば癒えるというのは大間違いだ。
癒すことをしなければ、癒えない。
集合も、個人も。
自分の魂は自分で守れ。
でもどうやって?!って話だ。
ダイナミック瞑想とは2016年に狂いそうだったわたしを救った瞑想法であり、いつか傷害事件級のことになるのではと恐ろしくそれが嫌なら自分で自分を滅ぼすしかない、と追いつまっていたわたしに効いた、当時唯一の方法だった(今はもっとたくさんのアプローチを発見した)が、
キモは、「意識的に狂う」「安全に狂う」ことにある。
生まれてこの方目標のために生きさせられる社会。
そこでうまくやってきたり、いい子をやってきたりすると、まさにそのために、狂ってしまうことがある。
自分を抑え、狂ったことがないからこそ狂ってしまう。
さして問題を出さない人が、いきなり暴発したり、自殺寸前になったりする。
言っておくけど、暴発寸前まで追いつまってる時に、自分の力で出られることは、滅多にない。
何かの「恩寵」のようなものによってしか出られることはない。
これは、「恩寵」くらいの稀な出会いがあったからこそ、そこから出られたわたしの話であり、だから語っている。
本当に危機のとき、恩寵に出会うチャンスなんか稀なのはわたしも知っている。
でも、わたしに起きたことを示せば、他の人もアクセスできると思うからだ。
「意識的に狂う」「安全に狂う」は、変わったことに見えるかもしれないが、
わたしがそれまでしたことのあるどんなことより、人間として生き物として真っ当であり、楽しかった。
生きるの死ぬのしかなかったわたしが、「楽しかった」ってそれだけですごいよ。
そこから、『安全に狂う方法』という本ができた(2024年6月)。
「方法」なのだから、実践できる。
今度は、その方法を実践する「場」をつくる。
それがわたしの、2025年の夏から秋のこと。